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盛岡地方裁判所 昭和47年(わ)35号 判決 1975年2月05日

主文

被告人は無罪。

理由

第一公訴事実

本件公訴事実は「被告人は、岩手県南バス労働組合釜石支部長であり、昭和四六年六月二七日施行の参議院議員選挙に際し、全国区から立候補した伊部真、岩手地方区から立候補した小川仁一の選挙運動者であるが、右両候補に当選を得させる目的で、同年六月二四日、釜石市甲子町野田所在岩手県南バス株式会社釜石営業所野田車庫において開催された岩手県南バス労働組合釜石支部大会の席上で、同支部組合員板沢利雄等約五〇名に対し、法定外文書である『全国区はまこと伊部真、地方区はおがわ小川仁一』と記載された同人等の写真入り無証紙ポスター約五〇枚を頒布したものである。」というのであり、右事実は、公職選挙法二四三条三号、一四二条一項に該当するとされている。

第二当裁判所の判断

一認定事実

<証拠略>を総合すると、以下の事実を認定することができる。

1  岩手県南バス労働組合は、岩手県南部を主とした定期および貸切バスの運行を業とする岩手県南バス株式会社の従業員をもつて組織された労働組合であるが、昭和四六年当時、その組合員数は約一、五〇〇名であり、本部を水沢市に置き、釜石、大船渡、水沢、一関、北上などの各営業所ごとに支部を組織していた。当時、被告人は同組合釜石支部長をつとめていたものであり、同支部組合員数は約三五〇名であつた。同組合の機関としては、中央の組合大会および中央委員会のほか、各支部にもそれぞれ支部大会および支部中央委員会を有していた。なお、同組合は、上部団体である私鉄総連およびその東北地連に加盟し、支持政党を従来から日本社会党と決定していた。同組合においては、以前から、各種の選挙に際して、同党の公認候補を推薦決定し、その支援活動を行うのを通例としていた。右推薦決定を行うについては、組合大会あるいは中央委員会で議決したうえ、さらに各支部ごとに、確認の趣旨をも含めて支部大会において再度推薦決議をなす、という手続がとられていた。同組合は、機関誌として、「結集」およびその都度発行される臨時の「速報結集」を有していたが、中央および支部における大会等での討議その他の教宣活動に際しては、必要に応じて別途討議資料等の文書が作成、配布されており、選挙候補者の推薦決定にあたつても、上部団体等の作成した資料等も含め、何らかの資料が各組合員に配布されるのを通例とし、同組合では、かかる推薦決議に関する資料配布は、他の組合等においても広く行われていることであるとして、違法とは考えていなかつた。

2  同組合は、昭和四六年六月二七日施行の参議院議員選挙においても、日本社会党の公認する候補を推薦し、その支援活動を行う方針であつたところ、昭和四五年、私鉄総連が同党公認の全国区立候補予定者伊部真を推薦決定したことを受けて、同年九月三〇日ころ開催された定期大会において全国区については同立候補予定者を推薦する旨の決定をなし、釜石支部においても、同年一二月ころ開催された支部大会で同様の決議をなしていた。他方、同選挙岩手地方区の候補者推薦については、社会党の小川仁一立候補予定者の公認が遅れたため、昭和四六年三月二三、四日ころに、同組合中央委員会において同人に対する推薦決定がなされたが、釜石支部においては、未だその旨の決議がなされるには至つていなかつた。

そこで、同組合釜石支部長である被告人は、右中央委員会の数日後、同支部における右推薦決議をなすべく、六月に開催される予定の定期支部大会に議題として提出しようと考え、組合本部の川辺書記長に、その際の討議資料として使用する文書の作成を電話で依頼した。その折り、被告人は、文書の内容については、同組合員の多くがバス乗務員であることもあつて、詳細な内容を記載したものよりは、理解し易いものが適当であろうと考え、「参議院選挙の討議資料にするので分り易く作つてほしい。」と述べただけで、その内容について具体的な指示、要望はしなかつた。

3  組合本部の川辺書記長は、被告人から右依頼を受けてすぐ、佐々木義書記次長に指示して本件文書(昭和四八年押第二一号の二ないし五)を作成させたものであるが、経歴等の詳細は役員が当然補足説明するので、なるべく分り易くすることと、参議院選挙の全国区ならびに地方区双方の候補推薦を同時に行いうるようにすること等を考慮し、縦約三〇センチメートル、横約二三センチメートルのざら紙を使用して、全国区はまこと伊部真、地方区はおがわ小川仁一、と立て書きし、その候補者名の漢字部分のみを肉太の文字とし、氏名の上部に両候補の写真を掲げ、用紙下部に横書の小文字で岩手県南バス労働組合、岩手県南バス労働組合家族会なる名称を記入し、謄写刷りで右文書を約三〇〇枚作成して、まもなくこれを釜石支部宛送付した。

4  被告人は、前記参議院議員選挙公示後の同年六月二四日、釜石市甲子町野田地内岩手県南バス株式会社釜石営業所構内の旧車検場の建物で開催された支部大会に支部長として出席した。同大会は、あらかじめ議題を、(1)臨時給配分の件、(2)改正ダイヤの件、(3)その他、と定めてかねてから開催が予定されていたもので、出席組合員数は約一四〇名であつた。会議は午後八時ころから開会され、最初に本部執行委員の古屋敷卓造が臨時給配分の件の承認につき提案してこれを承認し、次に、支部中央委員の浅野由美がダイヤ改正の件について提案説明を行い、午後九時五〇分ころ右案件を議了した。その後、被告人は、参議院議員選挙の推薦決定について提案すべく、「本部中央委員会で全国区伊部真、地方区小川仁一の各候補を推薦決定しているが、地方区を小川候補とすることについては支部大会の決定をしていないので、この席で皆さんの承認を得たい。選挙には推薦候補を当選させるようにお互いに頑張ろう。」と発言し、その際、前記浅野由美らをして、右案件の資料として前記の本件文書を、出席している組合員に対し前から順次手送りの方法で一人一枚宛配布させたうえ、被告人において「配布したものは持つて帰つて家の中に貼つておくよう。」と付け加えて発言した。右提案は、出席組合員多数の異議なしとの発言によつて承認された。以上で大会は終了して散会したが、右文書を配布された組合員の中には未成年の女子車掌等も居て、自宅には持ち帰らなかつた者も多かつた。

5  警察では、同月二六日、同組合において法定外文書を配布したという風評を得、これを裏付けるため、同日午後七時ころから聞き込み捜査を開始し、参考人調書を作成するとともに、投票日の翌日である同二八日には釜石支部事務所および被告人宅を令状を得て捜索した。その後、同年六月二九日および七月七日にそれぞれ被告人の出頭を求めてその供述調書を作成し、事件送致を受けた釜石区検察庁では、同年九月二五日に被告人の出頭を求めて供述調書を作成したうえ、同年一〇月一四日本件公訴を提起し、略式命令を請求した。

二公訴棄却の申立に対する判断

1  弁護人は、本件公訴提起は、公訴権を濫用してなされたもので、憲法一四条、ひいては憲法三一条にも違反するから、公訴棄却の判決を求めると述べ、その理由として、本件文書の頒布は、組合活動として通常なされる正当な政治活動に属する行為であり、そうでないとしても頒布枚数約五〇枚という軽微な案件であつて可罰的違法性がないか、少くとも当然起訴猶予にすべき事案であるにもかかわらず、検察官の有する裁量権を逸脱し、その公訴権を濫用して、労働組合を弾圧する政治的意図をもつて差別的にされた不当違法な起訴であるから、本件公訴の提起は無効である、と主張する。

2  よつて考えるに、現行制度上公訴権は検察官が独占し、公訴を提起するか否かの判断も、その裁量に委ねられているところである。しかしながらそのことが検察官の恣意を許すものでないことはいうまでもない。従つて、当該公訴の提起が、客観的に判断して、合理的な裁量権行使の範囲を著しく逸脱していると、明らかに認められる場合には、もはや適法な公訴提起行為とみることができないこともまた否定し得ないところである。

3  そこで、前記一に認定した本件事案の態様、ならびに捜査の経過等に関する事実に照らすに、被告人の本件文書の配布が、弁護人主張のように、労働組合活動の一環としてなされたものであり、その枚数も多量ではない等の事情は、これを認めることができるが、そのことだけで、本件公訴提起が合理的な裁量の範囲を著しく逸脱しているとはいえず、また、本件起訴が労働組合を弾圧する意図をもつてなされたとの点についても、これを疑わせるに足る事実は認められず、その他、本件事案の審理を通じ、その公訴提起行為に、前記のような顕著な裁量権逸脱にあたる事実があるとは認定できない。

従つて、本件公訴が公訴権を濫用して提起されたものであるということはできず、この点を理由とする右公訴棄却の申立はこれを容れることができない。

三違憲の主張に対する判断

1  弁護人は、さらに、公職選挙法一四二条は、選挙運動のためにする文書図面の領布を一律に禁止しているが、これは憲法二一条に定めた表現の自由を侵害するもので無効である。仮に一定の合理的理由により文書図面の頒布を制限する場合でも、包括的禁止を原則とした右規定は違憲たることを免れない旨主張する。

2  思うに、憲法二一条によつて保障された言論、表現の自由は、民主国家存立のための基本的権利であることはいうまでもなく、とりわけその政治形態の基礎をなす選挙制度においては、言論等の表現に関する自由は最大限に尊重されなければならず、その制限は必要最少限度に止まるべきであることはいうまでもない。

しかしながら、同時に、議会制民主主義の根幹をなす公職の選挙の運営は、公明且つ適正に行われなければならず、各候補者が公平な条件の下に選挙運動に従事し得ることとするために必要な選挙制度を定め、これがためにその合理的範囲内において表現の自由に一定の制約がもたらされることも、国民に等しく参政権を保障して議会制民主主義を採用している憲法の予定するところといわなければならない。

そして、選挙運動のために使用する文書図面の頒布が無制限に許容されるときは、選挙運動に不当無用な競争を招き、そのため徒らに選挙運動の費用、労力等の増大を来たし、ひいては候補者の経済力、社会的立場等によつて不公平が生ずる結果となり、また、これら文書が氾濫し、不正文書の発生をみる等の事態を招来するおそれもあり、これがためかえつて選挙の公正を害することも否定できないところである。

そして、公職選挙法は、一定数の通常葉書の頒布を許容しているほか、法定のポスター類の掲示、新聞広告の利用、選挙公報の発行、政見放送等の宣伝活動等の活用を認めており、同法一四二条が文書図画の頒布を制限しているといつても、これにより候補者の政見等の伝達が不当に困難になるものとはいえず、同法一四二条の制限が必要且つ合理的な範囲を逸脱したものであるとまでは解せられない。なお、最近の選挙制度審議会においても文書図画の頒布は合理的な制限を残して一定の自由化をなすべきであるとの意向が示されており、その他同法の規定には立法論的な改善の余地が少なくないにしても、これら改善の可能性の存在の故に、直ちに現行の規定に違憲性があるといい得るものではない。

以上の諸点からすれば、公職選挙法一四二条の規定は、未だ憲法の保障する表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限の範囲内に止まるものと解することができるのであつて、弁護人主張のように違憲無効なものと断ずることはできない。

四公職選挙法一四二条違反の罪の成否

そこで、前記一に認定した事実に照らし、被告人の本件文書頒布行為が、公職選挙法一四二条違反の罪を構成するか否かについて、以下に判断する。

1  労働組合の活動範囲と候補者推薦活動

労働組合は、使用者に対して、労働条件の維持改善など、労働者の経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織された団体であるが、現実の社会機構のもとにおいては、労働者の経済的地位は、社会的、政治的諸問題と密接な関連を有することを否定することはできず、従つて、労働組合が、その主たる目的を達成する手段として、これに付随して、政治的、社会的な活動を行うこともあえて禁ぜられるところではない。そうであるとすれば、右活動の一環として、自らの利益代表を議会に送り出す目的をもつて、労働組合が、国会議員等各種の選挙に際し、特定の候補者を推薦するとともに、これに対して現行法秩序の許容する範囲内での支援活動をすることを決定し、この決定を下部組織または個々の組合員に対して伝達することによつて、その趣旨を周知徹底せしめるなど、いわゆる候補者推薦活動を行うことも、労働組合の活動として許されない筋合のものではない。そして、右のような行為が労働組合活動として許容される範囲内に属するといい得る限り、その労働組合の活動は、附随的なものであるにせよ、団結権保障の一環として位置づけられる性質を有するものであることもまた否定できない。

2 労働組合の候補者推薦活動と公職選挙法の文書制限

労働組合の候補者推薦決定ならびに組合員に対するその伝選が許容される以上、この推薦活動に伴つて、必要な文書類の使用が当然予想されるところとなるが、一方において、公職選挙法一四二条、一四三条、一四六条等は、一定の場合を除いて、選挙運動のための文書等の頒布、掲示等を禁止している。従つて、同法に禁止された行為と、正当な組合活動として保障されるべき行為との限界が、問題となる。

思うに、民主制度における公職の選挙は、いうまでもなく国民の平等な立場における参加を必須の要件としており、労働者あるいは労働組合であるという立場の故を以つて、当然に公職選挙法における各種制限規定の適用を逸れるいわれはない。しかしながら、その行為の性質が、単に労働組合における内部的な推薦活動に伴うものである場合にも、これに対して同法の各種制限規定がそのまま適用されるか否かは、一概にこれを決することができず、右のような推薦活動が、前示の如く、附随的にもせよ、組合活動として保障される範疇に属することの理念と、公職選挙法の各種制限規定の法意との調整の見地から、各規定ごとに、その適用の有無を判断すべきものと解する。そのように考えると、組合の候補者推薦活動に伴う文書使用の行為が、以下に掲げる要件を充足するものである限り、当該文書使用行為は、公職選挙法一四二条にいう、選挙運動のために使用する文書類の頒布として、その制限の対象となる性質のものではなく、同条の適用はないと解するのが相当である。

(一) 対外的要因を有しないこと

さきにも述べた如く、労働組合が一般市民たる立場において、対外的に選挙活動を行う場合は、等しく公職選挙法の規制を受けることは当然であつて、文書制限もその例外ではあり得ない。候補者推薦活動が、組合内部における意思決定と、組合内部におけるその伝達に止まるかぎり、組合自治保障の観点から正当視される契機を有するに過ぎないからである。従つて、その手段としての文書の配布も、あくまでも内部的なものでなければならず、その配布の相手方はもとより、配布の意図、場所、方法、ひいては文書自体の内容等において、一般市民と関連を有するような外部的要因が存在しないものでなければならない。

(二) 組合活動としての通常性を有すること

前項のような意味において内部的な文書配布に止まるものであつても、同時にそれが当該組合における日常の組合活動に使用される通常の形態、方法によるものでなければならない。すなわち、右文書の使用が許されるゆえんは、通常の組合活動を保障する趣旨を出るものではなく、従つて、日常の組合活動に用いられる程度の教宣資料、討議資料等の文書の使用が、前記推薦活動に際しても許容されるにすぎないのである。これを越え、ことさらに選挙運動を目的とする文書の使用は、保障されるべき組合活動の範囲を逸脱するものといわねばならない。

以上の要件を満たす文書使用である限り、公職選挙法一四二条の規定の適用はないものと解すべきであるが、だからといつて、右文書の使用が、他の労働組合活動におけるように、組合員に対する統制的効力を有するものとして許容されるものでないことはいうまでもない。組合の推薦活動の趣旨を理解させ、任意の協力を求める趣旨のものでなければならず、組合員の個人としての政治的自由を侵害することがあつてはならないことはいうまでもない。

3  本件における文書頒布行為の性質

そこで、本件文書頒布行為の性質について考察するに、前記第一の認定事実に徴すれば、本件文書は、県南バス労働組合本部における候補者推薦決定を受けて、同組合釜石支部において、右決定の内容を組合員に周知徹底せしめるとともに、同支部自身としての推薦決議をなすべく、その活動の一環として使用された文書であると認められる。なお、全国区候補者伊部真については、当時既に同支部自身の推薦決議を終えていたものであるが、以来日時が経過していたこともあり、あらためて組合員に周知徹底を図るため再度確認決議をする必要のもと、地方区候補の小川仁一に対する決議提案に合せて、同一の文書で確認を求める趣旨であつたものと認められる。なお、本件文書の内容が前記のようなもので、決議のための討議資料というにはふさわしくない面もないではないが、同組合の構成員の多くがバス乗務員等であることもあつて、一見して分り易くしようとしたということ、および経歴、政見等の詳細は、役員による説明で補足されると考えていたという前記認定の事実も、理解できないところではなく、従つて、後述のように、本件文書が他の色彩を有する面があるとしても、このことを理由に、本件文書が右のような候補者推薦活動の資料としての性質を有することを全く否定することは失当である。

よつて、本件文書の配布が、前項に掲げた要件を充足するかどうかについて次に検討する。

(一) 本件文書は、その配布の対象となつた者は前記組合釜石支部の組合員のみであつて、その場所も会社内部の建物で開催された定例の組合大会の席上であり、このことからすれば、本件配布行為は、すぐれて組合の内部的行為たる性質を有するものと認め得るところである。しかしながら、他方において、前記認定の如く、本件文書自体の中に、組合の名称と並んで同労組家族会の名称が記載され、また、被告人においてその席上、外からは見えない所とことわつたにせよ「持つて帰つて家の中に貼つておくよう。」と発言したことからすると、被告人は、本件文書が必ずしも組合員のもとにのみに止まらず、その家族などの間に流布されるに至ることも予定していたものと認めざるを得ず、このことからすると、本件文書の配布には、必ずしも内部的に過ぎないとはいいきれない面がある。

(二) 組合の各種活動に際して、それに関するパンフレット類等の資料が配布されることはもとより、同組合においては、選挙に際して候補者の推薦決定をなすに際しても、通常の組合活動におけると同様、機関誌等とは別途、討議資料等の文書を自ら作成し、あるいは上部団体等から送付された資料を組合員に配布し、決議をするに際しての資料、ないしは決定を組合員に周知せしめる手段として利用するのを通例としており、その態様等も本件文書と同程度のもので、これらは、同組合における日常の教宣活動として意識され、且つその一環として取扱われていた事実が認められる。また、このこと自体は、単に同組合のみならず、他の多くの労働組合においてもほぼ同様であることは、前記認定の如く十分窺い知り得るところである。これらの事情のみからすれば、本件文書の配布は、通常の組合活動からみてあえて特殊なものとまではいえず、ことさらな選挙運動を目的としたものではないとみることもできる。しかしながら、一方、本件文書の態様が、前記の如く、組合員に対して分り易く配慮したためとはいえ、候補者の氏名と写真のみを記載した、いわゆる選挙ビラ的態様のものであり、また配布の席上、被告人において「推薦候補を当選させるようお互いに頑張ろう。」と発言している事実も認められ、これらの点からすると、厳格に解する限り、本件文書の配布は、通例の労働組合における候補者推薦活動に止まらず、選挙運動的色彩を併せ有したこともまた否定しきれないところである。

そうであれば、本件における被告人の文書配布行為は、前記2、に説示した労働組合における候補者推薦活動として許される文書使用の限界を逸脱し、公職選挙法一四二条による規制の対象たる性質を帯びるものといわざるを得ない。

4  可罰的違法性

右の如く、被告人の本件文書配布行為が、厳格に解する限り、労働組合における候補者推薦活動として許される文書使用の限界を逸脱しているとはいえ、その逸脱の程度は実質的には軽微なものにすぎないといつて過言ではない。

すなわち、被告人の本件行為が、完全に組合の内部的行為に止まる性質のものでなかつたとはいえ、配布の場所は定例の組合大会の席上であつて、直接の配布対象者は明らかに大会に出席した組合員に限られていたのであり、本件文書には前記組合家族会の名称が入つており、組合員が持ち帰つて家の中に貼ることが予想されていたにしても、本件文書が流布される可能性はせいぜい右家族等の範囲内に止まるものであり、且つ労働組合とその家族会の関係にかんがみれば、右の程度は、組合の内部的活動に準ずるものとみる見解もあながち失当とはいえない。また、このような文書を組合員に配布した以上、これがその家族等に渡ることは常にあり得る事態であるから、この点を厳格に解し過ぎるならば、組合の内部的活動に止まるといい得る場合は、殆どあり得ないことにもなりかねないと考えられる。

そして、本件文書が、前示の如く、一面においていわゆる選挙ビラ的形態を有することを否定できないにしても、被告人は、本件文書の作成を組合本部に依頼するについて、討議資料として分り易く作成してほしいと要望したに止まり、その具体的内容まで指示したものではなく、また、作成された文書が、同組合が従前の選挙における推薦活動資料として使用して来た文書と比較しても、あえて特殊なものではなかつたため、被告人としては、本件文書を配布するにつき、特段抵抗を感じなかつたものである事実が認められる。また、被告人は配布する際に前示の如き発言をしてはいるが、推薦決定の趣旨を徹底させ、これに対する組合員の理解を求めるための発言として、この程度の発言をすることは、不用意のそしりを免れないにしても、特に違例なことではないとも解せられる。且つ、前記支部大会は、本件選挙における組合員の意識昂揚を目的としてことさらに開催せられたものでもなく、定例の会議として既に予定され、その主たる議題は臨時給配分、改正ダイヤの件などの労働条件に関する案件であり、本件候補者推薦に関する議題は、これに合せて上程されたものであること、等の事情をも合せ考えれば、本件文書の使用が、選挙運動的色彩を有することを否定しきれないにしても、その程度は、文書本来の用途である組合内部における推薦活動の目的に比較すれば、僅少なものと認めて差支えないと解せられる。

以上認定の如く、本件文書の配布は、前項指摘の各要件に照らし、そのいずれの点においても多少の逸脱を免れないが、その主たる性格は、なお労働組合に許された内部的な候補者推薦活動にあつたと認め得るところである。

加うるに、本件公訴事実における配布文書の枚数は、約五〇枚に止まり、その体裁も、ざら紙にやや不鮮明な謄写印刷で作成された程度の文書にすぎないのである。

以上の事由の他、本件にあらわれた前記認定にかかる一切の事情および上述のような法の趣旨を総合して考量すると、被告人の前記大会における本件の文書配布行為が、現行の法秩序全体の理念に照らし、公職選挙法一四二条に違反するものとして、同法二四三条三号に定める刑罰をもつて臨む程度の実質的違法性を有すると解するのは、はなはだ疑問というほかはない。

そうである以上、被告人に対し同条違反の罪責を問うわけにはいかない。

第三よつて、被告人に対しては無罪を言渡すべく、刑事訴訟法三三六条を適用して、主文のとおり判決する。

(立川共生 大内捷司 園田小次郎)

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